EN

about

稲穂産業の沿革と立地条件

沿革

  1. (財)琉石産業研究所の設立

    (財)流石産業研究所は1960年3月、稲嶺一郎の念願であった沖縄県の自立経済の確立に向けて、沖縄県における未開発資源の調査、研究、普及を通じて新しい産業の発展を目的として設立された。
     稲嶺一郎を理事長とし、上地一史沖縄タイムス局長、多和田真淳沖縄県林業試験場長および琉球石油株式会社役員によって理事会は構成された。
     この琉石産業研究所は、琉球石油(株)の年間30,000ドルにのぼる寄附金により運営される「営利を目的としない純粋な研究機関」であった。
     本部町崎本部の32000坪の土地に試験場を開設し、稲嶺安一、比嘉良正、新垣雅由および中村九郎の5名の研究員を配属した。この崎本部試験地において、インド蛇木、クコ、ウコンなどの試験栽培を行った。その後規模の拡大を図り1960年10月には約50万坪にのぼる広大な大湿帯試験地の開墾が開始された。

  2. 琉石産業研究所の展開

     琉石産業研究所は、国内外から果樹、薬草、花卉、牧草など多種の植物を導入した。これらは崎本部試験地において試験栽培を行い、その中で活着の良い植物を優先的に大湿帯試験地に移した。ここでは産業化を目指した大規模栽培が行われ、成績の良いものについては一般農家への普及を行った。
     この方針により、崎本部試験地においては、ウコン、インド蛇木などの薬草類、ハワイ産グワバなどが主に栽培された。
     大湿帯試験地においてはパインアップル、ミカン、グワバ、バナナが大規模に栽培された。これらのうちパインアップルおよびタンカンについては大規模栽培が成功を収め、一般農家へ広く普及するきっかけとなった。これらは東村のパインアップル、伊豆味のタンカンの産地化へ大きく寄与している。
     中城演芸場においてはクコ、クミスクチンなどの薬草類とイチゴが栽培され、イチゴについては鉢物としての出荷も試みられた。
     また、養鶏、養豚、養蜂事業に着手し事業の拡大を図った。特に養鶏事業については那覇市の石嶺の伊江養鶏場において県内初の多数羽飼育の試験を行い、1964年には一万羽の規模へ拡大された。さらに1965年には畜牛飼養事業も行い、ヘレフォード、アンガス、黒毛和種を導入した。粗飼料についても高品質多収のネピアグラスをハワイから導入し、今日では県内各地に普及している。

  3. 農業生産法人 合資会社 稲穂産業の設立

     琉球石油は復帰を前に合理化を目的として、琉石産業研究所に対する寄附金を1970年で打ち切った。これを受けて1971年10月の第17回理事会において解散決議が行われた。同時に、これまでの琉石産業研究所の実績と資産を有効に生かすため農業生産法人として企業的農園を運営することが決議された。これにより1972年2月に稲嶺一郎、宮平弘志ら7名を発起人として稲穂産業(株)が設立された。そして同年3月に(財)琉石産業研究所の財産が全て稲穂産業(株)に譲渡された。
     また同年9月に農業生産法人としての登記を目的に、合資会社稲穂産業が設立され、翌年1973年2月に稲穂産業(株)の財産を全て合資会社稲穂産業へと譲渡された。1975年に稲穂産業は農業生産法人として登記された。
     稲穂産業の名は、当時参議院議員であった稲嶺一郎の後援会「稲穂会」よりつけられ、琉石産業研究所設立の精神である「沖縄県における産業の発展に寄与する」という稲嶺一郎の信念を継続させようという意志がある。

立地条件

  1. 位置および地形

     稲穂産業は、大湿帯と呼ばれる沖縄本島北部、名護市の北、東村との境に位置する。行政区は名護市天仁屋である。
     自動車で名護市から約30分、那覇市から1時間30分ほどで着くことができる。地形は標高186mから80mの高低差がある山間部である。この一帯は東海岸に流れる有津川と西海岸に流れる源河大川の水源地帯であり谷間を幾つかの川が走る。また敷地内に有津川上流の高低差約18mの滝も存在する。総面積約163haの内、尾根に沿って点在する平坦部は、およそ35パーセントである。敷地の北東側の尾根が一番長く、谷に向かう斜面が深く急傾斜である。それに対して西側および南側は比較的谷が浅く、斜面も緩やかである。

  2. 自然条件

     平均標高が海抜130mの高地であるため平野部に比べて2度ほどの気温の差がある。また平野部と比較して気温の日較差が大きい。
     降水量も多く、またその地形からも水資源は豊富である。飲料水および農業用水としての水源は川から直接ポンプアップにより取水している。水質は良好である。
     土壌は千枚岩や国頭礫層に由来する国頭マージである。この土壌は一般的に赤色から黄色の土色を持つ強酸性土壌で有り、侵食を受けやすく透水性および通気性が悪い性質を持つ。
     山間部であるため塩害、水害などの自然災害は比較的少なく、台風時の風害および塩害、降雨時の土砂崩れおよび表土流出などに注意すれば作物に対する影響はほとんどない。


稲穂産業の今後

稲穂産業は歴史的に、新しいことに挑戦してきた。これからも沖縄と日本、そしてアジア、世界に貢献するために活動していく。経済論理が全てに優先されて動いている社会では持続性がないことは明らかになっている。農業は国の基本である。作物は土壌の見えない細菌類がいなければ育たない。人も見えない多くの要素によって生かされている。人間は自然から切り離されているわけではない。科学信仰によって、多くのことを人類は成し遂げたが、同時に全てがコントロールできるかのような錯覚が多くの問題を引き起こしてきた。近代化という名の下に、合理、省力化が農業でも進めれている。しかし、その工業的な農業で生まれる生産物は薬漬けになっている。直接的に摂取する食料がどんなもので出来ているかの重要性を見逃されているのではないか。合理化、省力化の思考のままではいつまでたっても、食料はモノでしかない。命の糧としての食事を取り戻し、自然界の一員である自覚を持たなければ、現代が抱える諸問題の糸口すら掴めないように感じている。食が変わることで、人も変わり、世界も変わるのではないだろうか。自然を敵とみなさない価値観で共存共栄できる生態系を実現したい。

稲穂産業の敷地内には沖縄のユタなどがパワースポットとして祈りをあげる場所もあり、神秘的な雰囲気に満ちている。革命は辺境から始まるという。この亜熱帯のフロンティアは、新しい世界を作りたい人々を受け入れるために待っている。

 

理念

  1. とらわれない
  2. こだわる
  3. 挑戦する
  4. きっかけをつくる
  5. 自由である
  6. 愛する

 

会社概要

  • 商号  農業生産法人合資会社稲穂産業
  • 本店  沖縄県名護市字天仁屋165番地
  • 設立日 昭和47年9月13日
  • 目的
    ・亜熱帯作物の栽培、加工及び販売
    ・樹苗、種苗、養成施設、造林、家畜、その他農業生産物の育成及び販売
    ・家畜及び植物の優良品種の輸入並びに販売
  • 取引銀行
    沖縄県農業共同組合 羽地支店
    琉球銀行 大宮支店
    沖縄銀行 名護市店
  • 連絡先 info@inaho.okinawa

創業者 稲嶺一郎氏について

沖縄にかつて先見の明に秀でた、稲嶺一郎という人間がいた。彼は、前沖縄県知事である稲嶺恵一氏の父であり、自身も参議院議員を務めた。経済人としても一流で、今も沖縄県内の名門企業であるりゅうせきの創業者である。その彼が、沖縄の畜産、農産業の振興の為にと、実際に貢献もした場所が稲穂産業である。彼の詳しい功績はWikipedeiaなどに譲るとして、彼は沖縄の未来のために稲穂産業が活かされることを感じていた。種々の事情から眠った状態にあったが、いよいよ動き始めた。人物寸評 稲嶺一郎